記事情報
- カテゴリ
- 2025-11-13 ・京街道
- 投稿者
- わらじぃ
- タイトル
- 京街道02
- リード文
- 京街道一人旅(一日目)
0
京街道とは大坂から京へ向かう街道の総称、ここでは
東海道57次のうち山科の髭茶屋追分から伏見、淀、
枚方、守口の4宿を経て大坂の高麗橋に至る道をいう
関ヶ原の戦い後、徳川家康が五街道を制定した時に
江戸と京を結んだのが東海道で、幕府管轄の東海道が
大坂まで延伸されたのは豊臣家滅亡後二代将軍秀忠
の時、三代将軍家光の時に最後の庄野宿が設置され
京まで53次、大坂まで57次となった
京街道は文禄3年(1594年)に伏見城築造に着手した
豊臣秀吉が淀川左岸に築いた「文禄堤」が起源である
10:09 大楠とその先にある岩屋神社御旅所の石碑
10:11 名神高速の手前に京都市内に残る唯一の一里塚
『大宅一里塚』の跡がある
10:32 本日2023年(令和5年)3月26日、4年ぶりに
開催された真言宗大本山随心院の
『はねず踊り』の赤いのぼり旗が目に留まった
はねず踊りとは、華やかなはねず色の衣装
に身を包んだはねず踊り保存会の少女が、
小野小町を慕って「百夜通い」をした深草
少将の伝説に節をつけた唄にあわせ、紅梅
を花笠にして舞う踊りのこと
「はねず」とは李(すもも)の一種で、桃の花
のような春の色で、優しい紅の色という
朱華色と書く
このあたりの地名は “小野” である
“深草” は、勧修寺の先のテニスクラブ
あたりから墨染寺先まで拡がる地名
10:36 宇治まで8kmの標識あり 信号の少し先を直進すると
奈良街道となる 右折すると京街道が続く
10:39 右折角にある “おばんざい”の店
随心院はこの角を曲がらず直進すると左手にある
私は向うからこちらへ歩いて来てここを右(写真では左)へ
曲がった
10:43 茶色の建物「オジカソース」は
京都で初めてのソース会社とのこと
直進すると山科川を渡り、突き当りが勧修寺
寺の名前は“かじゅうじ”で地名は“かんしゅうじ”
10:44 山科川の勧修寺橋を渡ります
10:47 突き当りを左へ進みます
10:50 すぐ右折した先にある勧修寺
桜がちょうど満開でした
勧修寺は醍醐天皇が母の藤原胤子のために創建したもので、
氷室池の氷を宮中に献上していた
勧修寺から京街道は上り坂になり、しばし名神高速と
並行に進んだ後、「京都南12」トンネルから名神高速
の反対側の道にまわる
11:10 かつての旧道跡が部分的に残っている
右側の高手の上り坂の道がそれです
左手高速道路の所々に反対側に抜けるトンネルがある
(この道は「京都南12」トンネル抜けて
名神高速の反対側にまわった先ですが、勧修寺
からここまでは名神高速に沿ってかなりの距離があります)
11:13 後醍醐天皇御母小野陵の石柱 奥に藤原胤子の陵墓
「京都南10」トンネルから元の道に戻る
このあたりから地名 “深草”











